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Channel: 蟲にまつわる怖い話 | 怖い話<実話・怪談・短編・長編・不思議・猫他>|人から聞いた怖い話
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サンマリンジュース

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 村山は七年前、チラシのポスティングのバイトをやっていた。
 アルバイトの回転が速い職場だったので、一年働いた村山はベテランと呼ばれる存在になっていたという。
「だから遠くまで行かされんだ。会社は渋谷だってのに、青梅や大和まで行かされるんだ。原付で。荷台にチラシを山ほど載っけて」
 なかなか過酷な労働だったが誰とも喋らずに仕事ができることは魅力だった。ニート生活が長かったせいで人とコミュニケーションをとることが当時は苦手でしょうがなかったという。
「一枚ポストに入れたらいくらって稼ぎ方も良かったね。原始的で働いているって感じで」
 茨城の郊外の方まで行かされた夏の日のことだった。
 四時間ほどかけてチラシ千枚を撒き終え、村山は休憩場所を探した。
 渡された地図にはチラシを投函するマンションしか記載されていない。まだスマートフォンがない時代、土地勘がなかったら自分の足で探すしかない。
 駅から離れている区域だったことも災いした。ドトールやベローチェの安価な喫茶店はさすがにないだろうとは思ったものの、個人経営の喫茶店すら見当たらなかったという。
 日差しは激しく照りつける。
 汗も二リットルは出した。
 貯めこんだ唾を飲んでしまうくらい、喉はカラカラだった。あんなに喉が渇いたのは中学生の部活以来だったという。
(どこかガンガンクーラーのきいた喫茶店で休みたい……)
 熱望しながら原付を走らせていると、住宅街の隅に年季の入った喫茶店を見つけた。
 原付を路駐させると、村山は店内に駆け込んだ。
 喫茶店には似つかわしくないお婆さんが迎えた。いかにも縁側と日本茶が似合いそうだったという。
「とりあえず水をくださいって言って。ババアは客が久しぶりで嬉しいとかなんとか言ってたよ。ここでおかしいなって気づいて出れば良かったんだけど……」
 かすかな違和感は喉の渇きに蹴散らされた。
「水を一杯飲んで、ようやく落ち着いて……。メニューないですかって聞いてもないって言うんだよ。じゃあアイスコーヒーって注文しても、今は主人がいないから出来ないって言いやがるんだ」
 じゃあ何が出来るんですか、そう村山が聞くと「サンマリンジュース」という。
 サンマリンとはその喫茶店の店名だそうだ。
 別にアイスコーヒーがどうしても飲みたかったわけでもない村山は「じゃあそれで」と注文した。もし不味くても今なら何でもいい。水分と冷房があれば何も求めない。
 村山がコップにのこった水滴を舐めながら二本の煙草を吸い終えると、お婆さんはコップに入った黒い飲み物を持ってきた。
 名称からてっきりオレンジジュース系だと予想していた村山は面食らったという。
「それでも喉渇いてたんだよ。持ってくるの遅かったから焦れてたし」
 その黒い飲み物はきっとコーヒーや紅茶の一種だと村山は予想した。
 一気に飲み干してしまいたかったが、まだまだ水分は足りない。サンマリンジュースをちびちび飲みながらお冷を飲みまくろうと村山は考えたという。
 しかしお婆さんは水のおかわりを断った。
「まず飲んでください。その後でならお冷をお出しいたします」
と言ったという。
 味にこだわるラーメン屋のように、まずは飲み物を味わって欲しいのかもしれないと村山は思った。
 口を近づけるとサンマリンジュースは香辛料の強烈な匂いがしたという。
(これ俺の口には合わないんじゃない……)
 しかし体ははっきりと水分を要求している。
 村山はコップに手にし、多めに口に含み、飲み込んだ。
 口の中いっぱいに、濃厚なドブ臭さが広がった。大根おろしのようなブツブツした荒い果肉のようなものが喉を通り過ぎていった。
 考える間もなく村山は机の上に吐き出した。
 数刻前のお冷にまじったサンマリンジュースは、やや薄くなって目前に広がった。
 もやしの根のような、黒い触角があった。
 艶のある海老の皮のようなものもあった。これも黒かった。
 吐き気はとまらず、そのまま村山はまた吐いた。
 鼻の中から黒くて丸いなにかが飛び出し、机で跳ねた。
「うぇ、うおえっ、うえ……こ、ごで、なんでずか……」
 涙を流しながら苦しんでいる村山に、お婆さんはニコニコしながら答えたという。
「ダンゴムシです。裏庭の」
 お婆さんは特産品を説明するように、サンマリンジュースを説明した。
 裏庭で集めたダンゴムシをミキサーにかけ、砂糖とシナモンとレモンを絞った飲み物だと。
「数を集めるのが大変なんですよぉ」
 コツは大きめな石をあちこちに配置して、下に隠れたダンゴムシを集めることだと得意げにお婆さんは喋ったという。
 意識が飛びそうになるのを堪えて、村山は逃げ出した。喉に魚の骨のようにひっついている硬い殻が、どうしようもなく気持ち悪かった。

「その後はもう吐いて、吐いて……地獄でした。近くの交番に行ったんですけど」
 警察官は苦い顔をして、あの婆さんはボケていると教えてくれた。
「保健所にもチクったけど、その後どうなったかは……遠いからわざわざ確認もしに行かなかったし。たぶん年齢的にババァはくたばってると思うけど」
 それ以来、村山は小さくて黒い物を見かけるだけであの味と喉越しが蘇ってきて吐いてしまうという。
蟹や海老でさえ見ると鳥肌が立ってしまう体質になったそうだ。


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