大学生の垣之内くんは外食が苦手だ。
「虫入るじゃないですか」
まぁ気持ちはわかる。私も経験あるが、ご飯の中に羽虫が入っていることが稀にある。
「のぞいたら食べれるでしょ」なんてことも言われるが、例え小さな虫でもそれ以上箸をすすめることはできない。
だがそれを理由に外食全般が苦手になることはいささかオーバーではないだろうか。
「違うんです。全くオーバーではありません」
話を促す私に、垣之内くんは親指と人差し指を6センチほどあける。
「カトンボっているじゃないですか。サイズこれくらいの。羽の生えた、脚のほっそながい奴」
私は頷いた。
正式名称はガガンボ。正直いってかなりの苦手である。
飛翔スピードは速くないが蚊にくらべるとサイズが大きい。自室に入ってこられるとその存在感の大きさから放置するわけにもいかない。
部屋の壁を六本脚を使って、ざわざわと器用に飛んでいる場面を思い返した。
「あれが白飯の丼に混ざってること、今までありました?」
私はおもいきり顔をしかめた。
「飯の中で、あっちこっちにほっそながい脚ば散らばってるんですよ。本体っつうのかな、太めの胴体は千切れて赤茶色の液体だしてますし。初めて見たときは吐きそうになりました」
「え?」
垣之内くんから出された『初めて』というキーワードに私は首をひねった。
「そうです。俺、外食するとけっこうな確率でカトンボが飯に混ざるんです。もちろん行く店は変えてますよ。チェーンの定食屋でも牛丼屋でもそうなんです」
二回目からは吐きませんでしたけど。それでも食べられませんし、毎回お店の人に取り替えてもらうのって悪いじゃないですか。
そう垣之内くんは言う。
「ラーメン屋なら平気だろうって行くと……麺を食べ終えたら、カトンボが底にメンマを抱きかかえるようにして沈んでました」
話を聞いているだけで私は胸が気持ち悪くなった。
だが、なぜ。
どうして。
私は疑問をそのまま口に出さずにいられなかった。
たぶん、と前置きをして彼は述懐する。
「……ガキの頃ってイタズラするじゃないですか。俺けっこうひどかったんですよ。友達あんまいなかったから、そうすると遊び相手って虫じゃないですか。捕まえては殺して、捕まえては殺して」
それが原因というのだろうか。
――もしかして彼は虫の祟りとでも言うのだろうか。
だが子供はそんなもんだろう。「壊せるおもちゃ」くらいの感覚で虫を無残に殺すことは多くの人が経験している。ダンゴ虫を逆側に曲げる。トンボを裂いてシーチキン。
「うーん、そうなんですけどね、アレが良くなかったと思うんですよ。ある日に変なこと思いついちゃって」
夏休みのとある日、彼は近所の河原で片っ端から虫を捕まえた。毛虫にカマキリ。バッタにダンゴムシ、トンボからクワガタ。カナヘビにカエルまで。他にも名前のわからない虫たち。その中にカトンボもいたそうだ。
そして家から持ち出した大き目の蓋つきタッパーにそれらを生きたまま詰めた。
どいつが生き残るのか、見てみたかった。
完全にゲーム感覚だった。
予想としてはカエルだろう。応援したいのはクワガタ。カマキリにも期待できる。
そんなことを考え、無人の神社の床下に隠した。家に持って帰るには流石にバツが悪かった。
「結果は?」
おそるおそる尋ねる私に、垣之内くんは首を振る。
「それがわからないんです。実は家に帰ると親父の転勤で引越しするって言われて……」
引越しの準備で慌しい中、彼は自分で作成した小型の地獄をすっかり忘れてしまったそうだ。
「思い返すと、たぶんそれです。虫関係で悪さしたのって。供養っていうでしたっけ? そういうのしなくちゃなーって思ってはいるんですけど、すげー田舎で遠いんですよね」
呆然とした私は、すぐにでも行った方がいいと告げるので精一杯だった。
それに外食ができないことは社会人になったときに非常に困ると。
「まぁ外食できないと確かに困るんですよね。一回失敗したんですよ。女の子と初デートした時に、どうしても飯食うじゃないですか。こっちも口説きたいから嫌だなんて言えないし。そんでパスタ屋に入ったんです。もしカトンボ入ってたら残そうって思って。けどパッと見は入ってませんでした。」
だが食べ終えると、先ほどまで楽しく会話していたはずの女の子はそそくさと帰ってしまったそうだ。
残念な気持ちでいっぱいになりながら見送り、ついでに駅のトイレに入る。
鏡を見ると原因はわかった。
「前歯の隙間にほっそ長い脚が挟まっていたんです。まるで陰毛みたいなやつが」
以来、彼はどうしても外食しなくてはならない場合、ドリンクだけで場を濁すという。
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外食苦手
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